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不登校について(1)

[2019.09.12]

 最近は不登校に至った思春期の子どもたちの診察をすることは、珍しくなくなっています。今回のコラムでは不登校に至るまでに起きていることを中心に考えてみたいと思います。子どもの場合は、十分に言語化することが難しく、〈学校に行けなくなっている原因は何かある?〉と聞いても、「わからない」と言い、何もエピソードが語られないことはよくあります。しかし教室には身を置くことができないほど怖いと反応しています。そこで教室のこと、クラスメートや友達のこと、部活のこと、家庭のこと、先生とのことなど詳しく聞くことで、状況を推察することになります。原因は、いくつか考えられます。一つには、不安障害やうつ病、精神病など薬物治療を要するような疾患が背景に生じている場合があります。それ以上に、不登校には思春期特有の問題もあり、学校環境で起きている集団力動、部活内、仲間やグループ内での対人関係に端を発していることが少なくありません。いずれの場合も支援者である大人が適切に対処しないと命に関わる事態に至ることがあります。前者は周りが察知することが容易で、ご家族あるいは学校が、何か様子がおかしいと気づき、精神科・心療内科の受診につながります。後者に至っては、いじめなど原因が明確なこともありますが、本人も学校も事態がよくわからない場合があります。(発達障害などの生徒本人の特性が関係していることがありますが、そのことに関しては別に機会を設けて考えてみたいと思います。)

   ここで大人の場合に職場で起きる事態と比較して考え、言語で語ることが未熟な子どもに起きていることを推察してみたいと思います。「会社に行けなくなった」と訴えて、受診される方の中には、職場での対人関係で生存そのものを脅かされ、出勤できなくなってしまう方がいます。生活費を稼ぐという生活上守るべき制約があるため、安易に会社を辞めるという決断ができず、あるいは責任感や会社から慰留されるなどから、可能な限り踏ん張り、いよいよ限界となり受診してこられますので、多くの場合うつ状態を伴っています。やることなすこと全てにケチをつけられたり、一挙手一投足を監視されダメ出しされたり、懸命な努力を無視され続けたり、上司自身の価値観を押し付けてみんなの前で叱責されたり、存在を無視され陰口を叩かれたり、不利益なものばかり押し付けられたり、という仕打ちを繰り返し受けると、その人はその場での自分の存在価値を見出すことが出来なくなるばかりか、その集団からやむことのない排除と制裁を受けるという恐怖を抱きます。この集団からの排除対象となったら自尊心が砕かれ、存在を脅かされ、職場にいること自体が恐怖に襲われ、動悸や息苦しさ、発汗、過剰な緊張を強いられ、場合によっては、生命の危機に直面した時に起きる闘争逃走反応と言われる心身の極限状態に置かれます。排除制裁対象を設定することで集団やグループの結束をより強固なものにするということは、人間社会の中で繰り返し起きていることであり(規模が大きいと悲劇的な結果を生みます)、そのこと自体、集団維持本能とでもいうものに根ざしている部分もあります。気づかないうちに集団の中でこうした事態を引き起こしてしまう当事者になる可能性もあり、我々はこうした事態に注意を注ぐ必要があると言えます。その状態が長く続くとその対象となった人は強い無力感・絶望感に陥ります。会社であれば、職場を離れる自宅療養を経て、多くの場合は配置転換か転職することで解決を図ることになります。体を巻き込む恐怖反応を引き起こすようになった環境・対人関係はトラウマのように脳に刻まれてしまい修正をかけることは極めて困難となります。そうした職場に戻ることを治療目標の一つとして設定した場合には、環境の変化なしに安定して戻ることはほぼできないという臨床事実もあります。

   学校という現場でも類似のことが起きているのではないかと思います。そこでは理不尽な上司は、いじめてくる相手だったり、クラスや部活、グループのメンバーだったりします。学校現場で起きている事象そのものは職場で起きているほど明確でない場合も多々あると思われます。しかし学校では職場で起きること以上に複雑な要素が絡んでいるのではないでしょうか?登校することは当然のこととみなす社会的慣習がまだ根強くあること、教室という場ではクラスをまとめる必要があり同調圧力が働きやすいこと、思春期特有で十分な考慮なく感情や雰囲気に流されやすいこと、年代的にグループ意識が強いこと、本人に出来ることが限られていることなどという特徴があります。事件が起きるといじめがあったかどうかということがマスコミでよく話題になりますが、明らかないじめがなくても、集団やグループ内で力動が作用し、それぞれが明確に意識することなく影響力を有する生徒たちが持つ雰囲気に流され、排除の態度が特定の対象に向けられた場合、その対象となった生徒はその理由を言語化し表出することができないままに、自分の存在が脅かされていると心も体も同時に反応することがあります。ここで注意したいのは、明らかなハラスメントがある場合もありますが、悪意を持った加害側がはっきりしない状況や一概に善悪で決められないような状況でこうしたことが起こり得るということです。このことに配慮した対応が求められます。当初は不登校や不適切行動という形で現れます。そこで登校が強要される場合や、家庭状況や本人の特性から不登校という選択を取ることが極めて難しい場合には、悲劇的な行動に至るリスクが増していきます。不登校という形でなくてもSOSサインが何らかの形で発信されていると思われます。そのSOSサインが察知されず放置された場合の絶望感は思春期であれば、尚一層大きいものでしょう。我々大人や援助者は、このSOSのわずかな発信をも見逃さないようにしたいものです。クリニックという立場でも、通常の治療に加えて、この苦境に陥っている子どもたちの命と尊厳そして将来を守るために出来ることは何かを模索していきたいと思っています。

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